―暁英雄譚―3‐3
社交場である城塞西側二階の円形闘技場。そこへ辿りつくまで薄暗く粛々とした回廊を無言で歩いてきたので、入り口の大きな扉から盛況な様子が窺えて、リコは僅かにホッとした。
天井から硝子細工の灯が絢爛と垂れ下り、煩雑する人々の交流を静かに照らしていた。
金属の打ち重なる音が雑音に混じって聞こえてくる。剣闘士が試合を繰り広げているのだ。試合はトーナメント方式で、このトーナメント戦を制覇した者には市民権が与えられる。それを貴族たちは観戦しながら互いの友好関係を深めていく。時に険悪さに磨きがかかるということもあるが。
リコは十五歳で入隊した。以来、社交界には縁がなかった。この闘技場へ足を踏み入れたのも初めてだった。
キアラは目的の人物を探し当てると、嬢子の元へ歩みより、膝をついてその令嬢の指に口づけた。
気障ったらしいのは玉に瑕。リコはキアラの仰々しさに苦笑した。
彼女はプリムラ・ジュリアンと名乗り、優雅にドレスの裾を摘んでお辞儀をした。
腰まで伸びた黒髪を左右に分けて結い上げていた。髪を飾っているリボンは白薔薇柄のドレスと同じ生地だ。コルセットで締めつけれいるのか、腰の括れは驚くほど細い。異様に思える化粧は原色で彩られていて個性的。豊満な胸と相まって威風堂々とさえしていた。それ故、大きく円らな濡羽の瞳が揺れて、表情がくるくる回ると、容姿との調和が崩れて見えた。四、五歳くらい年上なのかと思ったら、意外にもリコより一歳年下だという。
「家はあなたと同く四天王なのです」
リコと同じ年頃の娘がいる四天王はただ一家しかない。
「……セバス卿の?」
「そう、わたくしのお父さま。以前からあなたにお会いしたいと思っておりました」
「私のことは父君から?」
プリムラは口元に手を当てて、笑いを堪えた。
「ええ、手強い政敵の話は家でもよくされるのです。でも、わたくしがあなたに興味を持ったのはお父さまの影響ではなくてよ。ご自分の評判は聞かないのかしらね。貴族の娘たちの間では随分、人気がおありなのよ」
「政敵? 人気って……? 何のことだ」
プリムラが何をいっているのか、全然わからなくてリコは戸惑った。
「セバス嬢、彼女は世情に薄いのです。あまりからかわないでやってください。それに彼女の家は少々特殊なのですよ」
助け舟を出してくれるかと思えば軽口。
「どういう意味だよ、キアラ」
「娘に武器を持たせて一流の剣士に育てようなぞ、到底常識では考えられないよ。他家の親なら嘆き悲しむだろうね」
「そういう環境だったんだ。ほっとけ」
リコが不貞腐れたように吐き捨てると、プリムラはからからと笑った。
「ノヴァリスさまの仰るとおりかも知れませんわ。セバス家も武門ですが、お父さまは一人娘のわたくしに剣を持てとは仰りませんもの」
「セバス卿が亡くなっても、そういい続けられるのか」
「不吉なことを仰るのね。そうね、その時は分家から養子縁組するしかないわね」
何がそんなに可笑しいのか、プリムラは零れそうになる声を耐えるように首を振ると、髪が揺れて耳元が露になった。
象牙色の花の耳飾。バザールで商人が自慢げに取り上げたあの耳飾だ。
(そうか、売れたのか)
プリムラの耳で魅力的に輝いて、そして彼女をより輝かせていた。
「ちょっと失礼するよ。珍しい友人の顔を見たのでね、挨拶してくるよ。ああ、リコ。僕の戻りが遅いようなら先に帰っていいよ。忙しいところつきあわせちゃってごめんね」
キアラはすまなさそうにリコの頬を撫でた。
彼の友人は手入れの行き届いていない乱れた黒髪に褐色の肌、そして全身黒尽くめだった。二、三言会話をすると、別の男が加わる。この男は燕尾服を瀟洒に着こなし、優雅に洗練された一礼するとキアラと握手を交わした。
「あれはサイスの特使さまじゃなかったかしら。確か、ストリンドベルクさまとヨウさま」
「特使? とてもそうは見えないが……プリムラはよく知っているな。もう挨拶は済ませたのか」
「いいえ、挨拶する必要などわたくしにはなくてよ。あなたは社交界に出てこないようですけど、情報に疎くなりませんの? ここでは、あなたがいついらっしゃるか、賭けることもありますのよ」
「賭け?」
自分が話題の種になるなど思ってもいなかった。
驚愕する様子のリコを完全に無視してプリムラは無言で鋭く睨んだ。
(第三者がいなくなれば急に態度を硬化させるのか……)
初対面の人間に剣呑に睨まれる覚えなんかない、とリコは心の中で愚痴る。
「私、何かした? ……プリムラ」
「わたくしの名はプリムラではなくて、プリムラ・ジュリアン。勝手に略さないで!」
彼女はやや気色ばんでいった。
「すまない」
「それに馴れ馴れしくして欲しくはありません。いわばわたくしたちは恋敵なのですから。どちらがあのお方の御心を射とめるのか。勿論、わたくしが一歩いえ六十歩ほど先じていますわ」
リコはプリムラの高慢さに目を白黒させた。
「あなた、ご結婚のご予定は?」
「ええ? どうしてそんなこと訊くんだ」
「いいから答えてちょうだい。わたくしには重要なのです」
「? 予定なんかない。キアラとの婚約も破棄になったしな」
「他の殿方はいかがですか」
「プリムラ……いや、プリムラ・ジュリアン。君が何を心配しているかわからないけど、私は当分、軍人生活をやめるつもりはないんだ。勿論、結婚するつもりもない。できるような状況ではないしな。虚しいことに相手もいない」
「……そう。では何故、お父さまはあんなことを……」
「セバス卿がどうしたって?」
「何でもありませんわ」
プリムラはドレスを摘んで可愛らしく頭を下げた。可愛らしいと思ったのは一瞬で、すぐにその瞳にある冷たく鋭利な憎悪を感じ取った。
「ご武運をお祈りいたしております」
リコを困惑させるだけさせて、踵を返して離れていくと、彼女の周りにどっと人が押し寄せ、取り囲んでしまう。
さながら、女王のようだ、とリコは思った。
To be continued
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